意外と知られていないサプリメントのお話
意外と知られていないサプリメントのお話
それはロサンゼルスのダウンタウンの南約44マイルいる(85キロ)に
位置するニューポートビーチ・バルボア島。今ではカリフォルニア州有数の高級リゾート地であるこの土地で、カール・レンボーグは、研究をスタートしました。
1927年、中国から脱出した彼はカリフォルニア州に到着。40歳にして、彼のポケットにはたったの24ドルしか所持金が有りませんでした。
バルボア島の船着き場の2階にある小さな部屋を借り、アルバイトで生計を立てながら、植物の栄養素の研究に没頭。栄養補給食品の完成と言う夢の現実に向かって歩き始めたのです。ちなみに、ニュートリライト(アムウェイのサプリメントブランド)の発祥地ともいえるこの場所は、現在、コーヒースタンドになっており、地域の人々に親しまれています。
そして、1930年代初頭の事、カール・レンボーグは植物の栄養素の抽出実験の為に、大金をはたいてアルコールの蒸留機を購入しました。しかし、時はまさに禁酒法の時代。
酒を造る事も、売る事も禁止されていたのです。もちろん彼は、その用途について州に説明し許可をもらって購入したのですが、ビタミンの存在すら曖昧な時代にあって、彼のやっている事は、当時の人々には到底理解できる物ではありませんでした。
昼となく夜となく奇妙な実験を繰り返す彼の事を変人と思っている人は少なくなく、そんな状況下でアルコール蒸留機購入。彼の事を快く思っていなかった人物が、待ってましたとばかりに州警察に通報しました。『彼は酒を作っている』と密告し、近所中が大騒ぎになったのです。誤解はほどなく解けて、直ぐに無罪放免となったものの、こうした無理解による妨害がたびたび発生しました。それでも幾多の困難を乗り越えて、諦めずに研究を続けた彼は、北米初の栄養補給食品の開発に成功したのです。
その原点は、1920年代初頭、乳製品メーカーの営業担当として中国に赴任した
所から始まります。一刻も早く現地になじもうと北京語の読み書きを独学で覚えた彼は
生まれ持っての好奇心もあり、この国の哲学や薬学にも興味を持ち始めます。
肉や白米を主食とする裕福な階層には脚気などの病気にかかる人が多い一方で、
主に新鮮な野菜や玄米を食べている農民には病気が少ない。観察眼の鋭い彼は
「食べ物の中に人間に必要な物が十分含まれていない事で人間は病気になる。だから、
食生活で足りない物を補給出来れば、問題は解決するはず」と考えました。
1927年、蒋介石(しょう かいせき、1887年10月31日〜1975年4月5日は
中華民国の政治家、軍人。国民政府主席、初代総統で5回当選し、あわせて1943年から
死去するまで中華民国元首の地位にあった。)による中華革命が勃発。多くの外国人と共に
収容所生活を余儀なくされた彼と彼の同僚は、食糧不足により栄養失調に陥りましたが、
この事が自らの発想を実践する大きなきっかけとなります。彼は、木の葉や雑草、すり
つぶした動物の骨、さらに錆びた鉄釘をゆでてスープやおかゆを作りました。味はひどい
物でしたが、過酷の状況下であるにも関わらず、スープを飲んだ人は体力を回復。この成
果から、彼は自らの概念に自信を深めました。やがて貨物船に乗って何とか中国を脱出し
た彼は、この国で全財産を失った代わりに、生涯の理念を手に入れたのです。
1927年、アメリカに戻ったカール・レンボーグは、直ぐに栄養素についての研究を
スタート。中国において、アルファルファを食べていた牛たちのとても健康そうな姿を目
撃していた彼は、「牛に良い物は、人にとっても良いのではないか」という仮説を立てて、
アルファルファを始めとした植物の栄養素を加工する実験に明け暮れました。
何度も試行錯誤を繰り返した後、彼が選んだ植物は3つ。中国での経験から興味を持っ
たアルファルファ、カルシウムを豊富に含むオランダガラシ(クレソン)、そして、ミネラ
ルの宝庫であるパセリです。現在もニュートリライト製品の原料として使われている3つ
の植物をベースに、彼はその中に含まれる全ての栄養素を抽出・濃縮する実験を寝る間も
惜しんで続けました。
当時は、ビタミンの存在は分かっていたものの、その知識についてはまだまだ断片的で
ポリフェノールやリコペンといった「ファイトケミカルス」などはその存在すら判明して
いなかった時代。彼の実験は当時の人々には到底理解されず、中には本気で彼の事を変人
と思っている人がいたほどです。多くの妨害に屈することなく、人々を健康にする為の製
品の研究に没頭し続けたカール・レンボーグ。この時はまだ誰も気付いていませんでした
が、やがて、彼のこの研究が、従来の栄養素に革命をもたらす事にあるのです。
何度も試行錯誤を繰り返し、1934年、ついに、カール・レンボーグは北米で最初の
栄養補給食品の開発に成功し、『カリフォルニア・ビタミン社』を設立。そして1939年
に社名『ニュートリライト・プロダクツ社』と改名しました。
彼は製品が飛ぶように売れると信じていましたが、残念ながら製品の在庫が減る事は
ありませんでした。ビタミンなど栄養に関する知識が無かったの当時の人々は、彼の製品
に全く興味を示さなかったのです。しかし、諦めることなく販売を続けていた彼を、時代
が後押しする事になります。「米国人の食生活は人々が思っているほど健康的ではなく、
それどころか、急増する生活習慣病の原因となっている」という事実が判明し、米国に
健康ブームが訪れたのです。彼の製品は一躍世の中の注目を集める事になりました。
また、彼はマーケティング・コンサルティング会社と共同で、世界初めての“ダイレクト
セールス・マーケティング・プラン“を開発し、さらに『ダブルX』開発にも成功。
※ ダブルXとはマルチビタミン&ミネラル
「本当に信じられる原料は自分で作るしかない」。そう考えていた彼は、カリフォルニ
ア州ヘメットに100エーカー(約40,4ヘクタール)の土地を購入し、自社農場での
原料植物の栽培を本格的にスタート。以来、徹底的に自然にこだわった質の高い製品は
米国の人々の間に瞬く間に浸透し、ニュートリライト・プロダクツ社は飛躍的な成長を遂げました。
栄養学の世界に次々と革新的な発想をもたらしたカール・レンボーグですが、実は、彼は博士号を持っていませんでした。それどころか大学も卒業していないのです。その為に“栄養学の異端児”と言われていたカール・レンボーグですが、当時はまだ十分解明されていなかったビタミンはもちろん、最近になってようやく注目され始めたファイトケミカルスの存在まで観察していたのは彼だけだったのです。
ポリフェノールやリコペンといった特別な栄養成分“ファイトケミカルス”が徐々に解明されにつれ、彼の理論が証明されました。やっと時代が彼に追いついてきたのです。次々と革新的なアイデアを形にしてきたカール・レンボーグですが、一つだけ実現できなかった事があります。それは、自分が究極とするサプリメントを製品化出来なかった事。ビタミン・ミネラル・そしてファイトケミカルス。それら全てを一緒に摂れるサプリメントこそが、彼が生涯追い求め続けたものでした。
そして、彼の死から23年後の1995年、日本において発売、ついに彼の念願を叶えたサプリメントが誕生したのです。
それが『トリプルX』
カール・レンボーグが残した言葉
1. 植物に含まれている栄養素全てが有用だと信じていたのは、そのとき私一人だった。
2. どんな作物を育てるかの前に、どんな土で育てるかが重要である。
3. 問題は、植物に何が含まれているかではなく、何が欠けているかだったんだ。
4. 私のアイデアが世の中に受け入れられるまでに、驚くほど長い時間を必要としました。

